作品集【小説】

【You only for me】(完)無幻童
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 午前8時、こんな時間に帰宅するなんて考えられなかった。
 街はまだ寝起きなのか活発な活動はしていない。ちらほらと動きだしているのは、小さなカフェやジュエリーショップ、それから新鮮な野菜や魚を売る八百屋位だろうか…まず目を引き付けられるのはジュエリーショップのウィンドウショウケース…きっとこの店の営利目的の為に作られたものではないのだろう、がしかしそのシンプルなシルバークロスは視線を釘付けにさせた。
「…綺麗ですね……はぁ…」
まだ開店前だから、ここで眺めていてもしょうがない。これから家に帰り、怠っていた部屋の掃除やら本の整理、買っただけの本の読書とが終わる頃にはこのクロスは買われている事が予想できた。何故ならこの店自体が人気店であるうえリーズナブルな値段で、なにより先程のクロスは女性が喜びそうなシンプルデザインだったからだ。
「今回は諦めましょうかね…」
フワリとコートを翻しその場を後にする。

 家に着いた時には時計の針が9時を指そうとしていた。ショップに長居し過ぎただろうか…。
 「さてと、やるかな♪」家に着くなり早速部屋の片付けをし始める。先ずは散乱した本をどうにかしよう。
 午前中には粗方掃除が終わり、棚の中を整理していた時だ、いきなり頭の上に小さな箱がバラバラと落ちてきた。
「っ!?…わっ!?な、なんだ?…」手に取ってみたそれは
「煙草…」
…自分のではない。
あの人の煙草。
あの人の香りがする。
散らばった煙草の箱が自分の周りでその香りを漂わせている。
まるであの人に抱き締められたような錯覚を覚える。
「ばか…クサい…」
…否、クサい訳がない。だってこんなにもこの香りに心臓が高鳴り始めているのだから。
 目を瞑り、あの人の感触を思い出す…硬くて大きなあの人の手…力強いのに優しく触れてくる大きな手…煙草の香りのする、あの大きな…手…。
思い出になってしまう程前に触れたあの人の手…
 パタリと自分の手に水滴が落ちる。
「?…あ…」何かと目を開けてみるとそこはぼやけた世界。自分が涙していた証拠。
「…うそ……ぁ…」
涙なんて人の為にしか流した事なかった。自分の為に涙したのは初めてだった。
そしてこの涙の理由に気付いてしまった…自分があの人を必要としている事に…。
「うそ…っ…っう、そだ…」気付いた時には遅かった。誰かを求め流す悲しみの涙は止め処なく溢れていく。

止めかたなんて知らない…
 泣き疲れていつの間にか眠っていたらしい。ふと目を覚ますとそこは自分の寝室だった。
「ぁ……?ん?」
自分の足で寝室に来た覚えはない。
まだ正常に働かない頭をフル回転させても、ちゃんと開かない目をこすっても混乱したままだ。
時計を見たらまだ夕刻にはなっていなかったので買った本を読もうと体を起こしたその時だった。
嗅ぎ慣れた煙草の香り…そして、重低音に響く声…
「…やっと起きたか…お子様だな…」
一瞬、まだ夢の中にいるのかと思った。
「…ソルゥ?…ん…ばかぁ…?駄目だ…目が開かない?」
寝ぼけているのは一目瞭然だ。
「バカはお前だろ…あんなに泣きやがって…目が開かねーのはそのせいだ…」
冷たく濡らされたタオルが顔に当てられる。
「…?……!?ンウ!?」
名前を叫んだのだろうがタオルが邪魔で声がごもった。
「あ゙?」
不機嫌そうな声。夢ではない。本物の…
「っぷは!ソル!!」
その姿を目に映すや否やありったけの力で彼の体を抱き締める。
「!?…んだ?怖い夢でもみたか?」茶化すような笑みに怒りは感じない。
「夢なんか見ない…それより、いつからいたの?もしかして私が寝てる間?」
「ぁあ゙?何言ってんだ?9時前位には居たが?…気付いてなかったのか!?」
……馬鹿……自分……
顔が見る見るうちに赤くなっていく。
「も…もしかして、全部見てた?…」
「?ああ。…可愛い事してんじゃねぇかよ…んな淋しかったのか?」
つくづく嫌な奴…でも、図星。
「…悪いですか…」抱き付いたまま囁くように答えた。
「…やけに素直だな…キモイ…」
「…つくづく嫌な奴!!」
先程までの甘い時間が崩れ去る。
ソルの後ろ髪を思い切り引っ張り、ベッドから飛び降りようとした。けれど、着地したと思った脚には力など微塵も籠もらなかった。
「っ!?わっ」
地面にへたり込む前に強靭な腕に助けられる。
「何やってんだ?…」
訝し気にベッドの上に戻される。
「いや、脚に力が入らなくて…」
ベッドの上で力の入らない脚をパタパタと叩く。けど…
「…ソル…やっぱり力、入らない…それに…具合が…」立つ事を諦め、寝転がったままソルを見上げたその時…『グギュルゥゥゥ』…
「ぁ……」
「……今のは坊やの腹か?…」
ソルが驚いているのが分かる。当たり前だ。普段はこんな失態などしない。
ソルの気配を感じとれなかった事、泣き疲れて眠ってしまった事、力の入らない脚、それに…
「腹減ってんのか…?」空腹を知らせる腹の音が盛大に響き渡った事。
カイの顔が恥ずかしさのあまり耳まで赤く染まる。
「ったく…しょうがねぇなぁ」
ベッドの上で顔を朱に染めたカイをこの寝室から運び出す為、カイの体に負担にならないように抱き上げる。身長の割には軽過ぎるその体を。
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